親を見て思う:パートナーシップの大切さ
- 2017/07/15
- 10:57
姑から立派なナスを頂きました。
庭の家庭菜園で育てた無農薬ナスです。

家庭菜園・・・と言っても、今は亡き舅がかなりの畑好きだったので、結構本格的な畑です。
この夏はナスの他にもトマト、シシトウ、ピーマン、じゃがいもを頂きました。

新鮮なナスは揚げびたしにして頂きました。
ナスの揚げびたしは配偶者の大好物なので、夏はヘビロテメニューです。
そういえば舅が亡くなって、今年で丸4年。
私の記憶の中の舅は、常時酔っ払って訳のわからないことを喋り捲って・・・私の周囲だけかもしれませんが、団塊の世代?ってお酒で失敗してる人多くないですか?汗
私の父も酒乱だったので、ほんとそう思います。
舅の生前、姑は我慢の日々に傍目には見えました。
お医者さんにどんなに止められてもお酒がやめられず、姑に注意や懇願されても「うるさいっ!」と怒鳴り散らす。
「お義母さん、よく我慢してるな~」と会う度感心しました。
好きなだけお酒を飲んで、好きな畑を熱射病で倒れるまでやって、3年に1回は蜂に刺されて救急車で運ばれ、孫(私の長男)を私物化して嫁に殺意を抱かせる笑・・・。
そんな舅に姑は文句一つ言わず、亡くなるまでずっと寄り添っていました。
「お義母さん、たまにはお義父さんに何か言い返してやればいいのに」
と私が言っても
「もう手遅れだから」
と苦笑い。
「もう手遅れ」・・・そういえばうちの母親もよく言う台詞です。
うちの父と母の場合も、前述しましたが父が若い頃から酒乱だったので、それはそれは大変な夫婦生活だったと思います。
今は父も高齢で、お酒も弱くなって、歩くのさえ困難な状態・・・そしてそれはまた母にとっては不満な状態であるのです。
昔から散々苦労させられて、お互い年をとってこれからはのんびり過ごしたいと思っていたのに、今度は父の介護に振り回される日々・・・確かに母が不満を募らせるのもわかります。
父が転倒して軽い怪我をした後に母は言いました。
「昔から優しくしてもらって、仲良し夫婦出来てたら、今みたいになってもこっちも喜んでお世話する。だけど、今まで散々な目に合わされて来たのに、更に・・・なんて、あの人(父)は私を苦しませるためにわざとふらふら歩いたりしてるんじゃないかと思う」
まぁそんな理由であれだけ思いっきりすっ転ぶようなことはしないと思うけど笑。
たいていの悪意は元々そこにあるのではなく、見る人が生み出すものだと私は思っているので、母の意見には賛成できませんが、それはまぁ私の個人的事情もあるのかもですね。
<私と母関係の過去記事はこちら>
母と娘って難しい
続☆母と娘って難しい
年をとってからも父の母に対しての態度は変わらず、だから母の父に対する憎しみも変わらないのは当たり前?
というか、男の人って年取ったからって性格変わらないですよね。
むしろ余計に個性が際立つ感じ?
今まで傍若無人だった人が60超えた途端好々爺に変身!なんてありえない。
てかそもそも他人は変えられませんもんね。
うちの母もよく口にする台詞「もう手遅れ」。
それは事実なんでしょうが、彼らを見ていて思うのは、「母達は自分が嫌なことを父達に伝える努力をして来たのかな?」そして「自分がこうならないためにはどうしたらいいんだろう?」と言うことです。
何事にも順序があって、ある日突然「傍若無人な人と、ひたすら我慢する(または憎しみを抱き続ける)人」な関係が出来るわけじゃない。
もっと早い段階からお互いに気持ちよく過ごす努力をすることで、そんな理不尽な関係が生まれるのを阻止できたのではないかと私は思うのです。
では「お互いに気持ちよく過ごす努力」とはどういうものでしょう。
私は、やっと最近出来てきた段階ですが、自分が嫌なことを言われた時はそれを相手に伝える、でも相手を追い詰めすぎないよう気をつけています。
うちの配偶者はとにかく失言?が多く(「過去記事」←参照)、血管がキレそうになることもしばしば。
だけど、そういう失言の一つひとつを「どうして言ったのか?」「なぜそれを言っていいと思ったのか」などくどくど言い立てた所で相手は息が詰まってしまうだけ。
そしていくら忙しくても、嫌なことを言われたら放置はしません。
嫌なことを言われてもぶっちゃけこっちは忙しいから無視した方が楽だったりします。
だけど、そこで放置しちゃうと配偶者は自分が言ったことが「私が嫌なこと」とは知らないままです。
放置せず、「そういうことを言われて嫌だった」気持ちだけをきっちり伝えて、後は表面的にはそのことには触れないようにします(腹の中はしばらくの間は荒れ狂ってますけどね)。
そうすることで、私が何が嫌なのか、と言うデータだけが、配偶者の中に蓄積し、そのうち喋ることの選択肢の中から自動的に私が言われると嫌なことがはじかれるようになるんじゃないかなぁと。
まぁ「期待」してるだけで上手くいくかどうかはわかりませんが笑。
あとは、二人で楽しめることを自分から積極的に探すようにしてることでしょうか。
今はおいしいコーヒーが飲めるカフェを探すことと、海外ドラマのDVDを登場人物についてあーだこーだ言いながら見ることかな?
次男が月1程度ショートステイを利用することになったので、今後は月1の居酒屋デートの日を作るのもいいなと思ってます。
楽しい時間を共有した記憶って大事ですよね。
そういう時間の積み重ねが、未来に繋がって行くと私は信じます。
少々ムカつくことがあっても、今(現役時代)は配偶者と過ごす時間なんて平日夜の数時間と週末だけ。
でも、引退したら基本ずーーーーっと一緒にいなきゃいけないんですよ?
ムカつくことを、ムカつくことを言う相手を放置していたら、老後それがパワーアップして自分の身に降りかかってくることは必須。
なのでムカつくことはその度解決した方がいいです。
男性は相手が何もリアクションしないと「~しても許してもらえる」と勘違いして、その勘違いを抱えたまま生きて行きます、うちの父親も舅もそうでした。
日本の家庭は子供が中心になっていることが多いけれど、一緒に過ごす時間が人生の中で一番長いのはたいてい夫婦。
夫婦のパートナーシップを育むことが、最大の人生への投資ではないでしょうか。
まだ子供の手が離れてないうちは日々バタバタして、ついお互いの存在から目を背けてしまいがちですが、過ごす時間が少ない今のうちに、お互いに気持ちよく過ごす努力と工夫をする習慣をつけ、夫婦で楽しめることを見つけることがとても大切だと思います。
「他人」は変えられないなら自分が変わって、「過去」も変えられないならせめて楽しい「未来」を、これから積み重ねる日々の中で作り上げていけるといいなと思います。
~参加中~
庭の家庭菜園で育てた無農薬ナスです。

家庭菜園・・・と言っても、今は亡き舅がかなりの畑好きだったので、結構本格的な畑です。
この夏はナスの他にもトマト、シシトウ、ピーマン、じゃがいもを頂きました。

新鮮なナスは揚げびたしにして頂きました。
ナスの揚げびたしは配偶者の大好物なので、夏はヘビロテメニューです。
そういえば舅が亡くなって、今年で丸4年。
私の記憶の中の舅は、常時酔っ払って訳のわからないことを喋り捲って・・・私の周囲だけかもしれませんが、団塊の世代?ってお酒で失敗してる人多くないですか?汗
私の父も酒乱だったので、ほんとそう思います。
舅の生前、姑は我慢の日々に傍目には見えました。
お医者さんにどんなに止められてもお酒がやめられず、姑に注意や懇願されても「うるさいっ!」と怒鳴り散らす。
「お義母さん、よく我慢してるな~」と会う度感心しました。
好きなだけお酒を飲んで、好きな畑を熱射病で倒れるまでやって、3年に1回は蜂に刺されて救急車で運ばれ、孫(私の長男)を私物化して嫁に殺意を抱かせる笑・・・。
そんな舅に姑は文句一つ言わず、亡くなるまでずっと寄り添っていました。
「お義母さん、たまにはお義父さんに何か言い返してやればいいのに」
と私が言っても
「もう手遅れだから」
と苦笑い。
「もう手遅れ」・・・そういえばうちの母親もよく言う台詞です。
「手遅れ」には勝手になるわけじゃない、と思う、思いたい
うちの父と母の場合も、前述しましたが父が若い頃から酒乱だったので、それはそれは大変な夫婦生活だったと思います。
今は父も高齢で、お酒も弱くなって、歩くのさえ困難な状態・・・そしてそれはまた母にとっては不満な状態であるのです。
昔から散々苦労させられて、お互い年をとってこれからはのんびり過ごしたいと思っていたのに、今度は父の介護に振り回される日々・・・確かに母が不満を募らせるのもわかります。
父が転倒して軽い怪我をした後に母は言いました。
「昔から優しくしてもらって、仲良し夫婦出来てたら、今みたいになってもこっちも喜んでお世話する。だけど、今まで散々な目に合わされて来たのに、更に・・・なんて、あの人(父)は私を苦しませるためにわざとふらふら歩いたりしてるんじゃないかと思う」
まぁそんな理由であれだけ思いっきりすっ転ぶようなことはしないと思うけど笑。
たいていの悪意は元々そこにあるのではなく、見る人が生み出すものだと私は思っているので、母の意見には賛成できませんが、それはまぁ私の個人的事情もあるのかもですね。
<私と母関係の過去記事はこちら>
母と娘って難しい
続☆母と娘って難しい
年をとってからも父の母に対しての態度は変わらず、だから母の父に対する憎しみも変わらないのは当たり前?
というか、男の人って年取ったからって性格変わらないですよね。
むしろ余計に個性が際立つ感じ?
今まで傍若無人だった人が60超えた途端好々爺に変身!なんてありえない。
てかそもそも他人は変えられませんもんね。
うちの母もよく口にする台詞「もう手遅れ」。
それは事実なんでしょうが、彼らを見ていて思うのは、「母達は自分が嫌なことを父達に伝える努力をして来たのかな?」そして「自分がこうならないためにはどうしたらいいんだろう?」と言うことです。
何事にも順序があって、ある日突然「傍若無人な人と、ひたすら我慢する(または憎しみを抱き続ける)人」な関係が出来るわけじゃない。
もっと早い段階からお互いに気持ちよく過ごす努力をすることで、そんな理不尽な関係が生まれるのを阻止できたのではないかと私は思うのです。
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他人と過去は変えられない、でも自分と未来は変えられる
では「お互いに気持ちよく過ごす努力」とはどういうものでしょう。
私は、やっと最近出来てきた段階ですが、自分が嫌なことを言われた時はそれを相手に伝える、でも相手を追い詰めすぎないよう気をつけています。
うちの配偶者はとにかく失言?が多く(「過去記事」←参照)、血管がキレそうになることもしばしば。
だけど、そういう失言の一つひとつを「どうして言ったのか?」「なぜそれを言っていいと思ったのか」などくどくど言い立てた所で相手は息が詰まってしまうだけ。
そしていくら忙しくても、嫌なことを言われたら放置はしません。
嫌なことを言われてもぶっちゃけこっちは忙しいから無視した方が楽だったりします。
だけど、そこで放置しちゃうと配偶者は自分が言ったことが「私が嫌なこと」とは知らないままです。
放置せず、「そういうことを言われて嫌だった」気持ちだけをきっちり伝えて、後は表面的にはそのことには触れないようにします(腹の中はしばらくの間は荒れ狂ってますけどね)。
そうすることで、私が何が嫌なのか、と言うデータだけが、配偶者の中に蓄積し、そのうち喋ることの選択肢の中から自動的に私が言われると嫌なことがはじかれるようになるんじゃないかなぁと。
まぁ「期待」してるだけで上手くいくかどうかはわかりませんが笑。
あとは、二人で楽しめることを自分から積極的に探すようにしてることでしょうか。
今はおいしいコーヒーが飲めるカフェを探すことと、海外ドラマのDVDを登場人物についてあーだこーだ言いながら見ることかな?
次男が月1程度ショートステイを利用することになったので、今後は月1の居酒屋デートの日を作るのもいいなと思ってます。
楽しい時間を共有した記憶って大事ですよね。
そういう時間の積み重ねが、未来に繋がって行くと私は信じます。
少々ムカつくことがあっても、今(現役時代)は配偶者と過ごす時間なんて平日夜の数時間と週末だけ。
でも、引退したら基本ずーーーーっと一緒にいなきゃいけないんですよ?
ムカつくことを、ムカつくことを言う相手を放置していたら、老後それがパワーアップして自分の身に降りかかってくることは必須。
なのでムカつくことはその度解決した方がいいです。
男性は相手が何もリアクションしないと「~しても許してもらえる」と勘違いして、その勘違いを抱えたまま生きて行きます、うちの父親も舅もそうでした。
日本の家庭は子供が中心になっていることが多いけれど、一緒に過ごす時間が人生の中で一番長いのはたいてい夫婦。
夫婦のパートナーシップを育むことが、最大の人生への投資ではないでしょうか。
まだ子供の手が離れてないうちは日々バタバタして、ついお互いの存在から目を背けてしまいがちですが、過ごす時間が少ない今のうちに、お互いに気持ちよく過ごす努力と工夫をする習慣をつけ、夫婦で楽しめることを見つけることがとても大切だと思います。
「他人」は変えられないなら自分が変わって、「過去」も変えられないならせめて楽しい「未来」を、これから積み重ねる日々の中で作り上げていけるといいなと思います。
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