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最近「失敗したなぁ」と思ったこと

このブログを読んでくれてるリア友と会うと、よく

「旦那さん、大丈夫?」

と聞いてくれます。

一応会社には行ってるから返事は「まあまあまあ、何とかやってる」としか答えられないのだけれど実際は。

ここ数ヶ月メンタル絶不調のうちの配偶者の具合は、絶賛継続中な不調です。

良い時は良いんだけれど、そうじゃない時はわなわなしてる。

でもってメンタル不調な人の対応はそれなりに経験あるつもりなんだけれど、わなわなの度にカウンセリングもどきを延々しなきゃいけないのがこちらこそ心身共に来ると言えば来る、うん。

わなわなしてる人によく見られるのが以下の2つでそれに対する私的対応。

・視野狭窄
→そんな些細な事で?!と思うようなことで悩んでたりする状態。馬鹿にせず、そう感じた事実は否定せず冷静に「世間一般的にその事柄の扱いはこうだ」と言うのを示します、繰り返し示します。

・認知の歪み
→話しかけたのに素っ気ない態度をされた、あの人私のこと嫌いなんだわ、などのように実際の行為から極端な結論を導き出してしまうような状態。これまた冷静にその事象から推測される常識的な受け取り方を示します、繰り返し。

・・・これいちいちやってると2~3時間かかるんですよね。

もう本当にそろそろ何とかしてくれ~と言いたい所だけれど。

多分普通の知り合いとかにされたらとっくに逃げてるけれど。

配偶者=私の管轄なので逃げる訳には行きませぬ。

自分の管轄ってみなさんは意識したことありますか?

管轄=責任を取る範囲みたいな。

私にとって自分の管轄は自分の親、配偶者、自分の子供、です。

この三者に関しては、何かしらのトラブルが生じた際は自分の責任でなんとかせねばと思っています。

これは多分結構一般的な感覚なんじゃないかな?

逆に言うとこの三者以外の人の責任は負わなくていいということで、ここをわきまえておくとママ友関係とかで悩む頻度がぐっと減るんじゃないかと思う。

ママ友とかで困った人がいたら困ったままにしときゃいいよ、その人にはその人が管轄な人がたいていいるんだから任せときゃいいよ、みたいな。

全ての人の面倒はみれないよ。


***********


さて3連休最終日だったこの間の月曜日。

次男は祝日も作業所があるので家を出て。

せっかくだからどこか行こうか~と配偶者と言い出したので、普段行かない千里中央の方に行く事にいたしました。

そこでよせばいいのに私ってば

「じゃあうちのばあちゃん(私の母親)も連れてく?」

と言ってしまったんですねぇ。

うちの母親も今日は一人だし、この人はここ数十年「かわいそうな私症候群」と言うかメンタル不調大ベテランなので、気晴らしにどっか遠くに連れて行くのもいいなぁと軽い気持ちで考えた。

・・・それが失敗の元でしたけどね。

途中で母親を拾って千里中央へドライブ、着いた先は新鮮な街並み、いつも行かないお店や行ってみたかったお店を巡って3人で楽しみました。

いまどき珍しい純喫茶があったので、興味本位で入ってミルク金時とやらを注文してみたりする、そして来たのは・・・


09271.jpg


・・・白くま?

どう見ても白くま、まぁ全然いいけど。


0927.jpg


メニューも手書きだったりして何だかちょっとうきうきしました。

お昼になったので韓国料理のお店に入り注文。

最近神経疾患用の漢方薬を飲んでいる配偶者、いつものように食前の漢方を飲むと・・・

「あんた何飲んでるの?」

と母親。

「漢方です」

と配偶者。

「どっか悪いの?」

と母親。

「・・・いやちょっとイライラしたりすることがあるので」

と配偶者。

すると母親大声で

「へえ~~~~」


へえ~じゃねえし!!!

そこ触れてはいけないとこ!!><

変に会話に介入すると余計にややこしいことになりそうなので苦笑いするしかない。

そして帰り道、車内にて、何故か突然母親こんなことを言い出す。


「・・・ねぇねぇ、パニック障害って知ってる?」


な、なんで今この時にそれ系の話題振ってくるの?!

「うん、知ってるけど・・・」

「あれってどんなの?」

「いやなんか私の知り合いでそれなってる人だと、人ごみ出れないとか外出れないとか色々不便みたいだねぇ」

「ふ~ん」

・・・一応「その手の話はしてくれるな」オーラを出しながら返事したつもりだけど、わかった?わかってくれた?><


「でもさ」


あぁわかってなさそう・・・。


「ばあちゃんが思うに、そういうのって贅沢病やと思うねん」


だ か ら !><

母の知り合いにパニック障害の人がいるとかそういう事情があるのかも知れないけれど、メンタル不調真っ只中のうちの配偶者の前でそういう話はしないで欲しい、それでまた気分滅入ってわなわなし出したら誰が何とかすると思ってるの私よ?私しかいないのよ?

しばし絶句する私をよそに話を続ける母。

「だいたい恵まれてて生活に困ってないからそういう病気になると思うねん、ようするに贅沢やねん。生きるのに必死やったら気持ちがどうとか思う余裕ないやろ」

まぁそういう見方も出来なくもないかも知れないが、あんたが言うなや

「ま、まぁそういう人もいるかもだけど多分それだけじゃなくて体質とか脳の誤作動とか色々理由があると思うよ」

と、「この会話はここでおしまいね!!!」な気合と共に返事するとありがたいことに黙ってくれた。

なんと言うかあれですね、今回のお出かけのキャスティングは私の完全なミスでした。

メンタルに問題ある同士を一緒にしてはいけなかった。

恐らく配偶者にしてみれば聞きたくない話をされ聞かれたくないことを聞かれ苦痛であっただろうし、母親にしてみれば自分もずっとメンタル不調なのにそれに対しては自分が望むほどのケアを(私が)してくれないのに婿にはあからさまに配慮する私を見るのが気に食わないとか色々あったのかもしれない。

まぁなんにせよ自業自得的に胃が痛いお出かけでした。

これからは気をつけようと思います、はい。



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最近良く「多様性」と言う言葉が頭に浮かびます。

昨日、神戸の方での講演に参加した時もこの言葉が浮かびました。

講演の本筋とはあまり関係なかったけれど、働き蜂の法則について触れた箇所があったのです。

働き蜂も、全員が働き者であるわけではなく、全体の20%くらいはさぼってる・働いてないそうです。

そしてその働いていない20%を取り除けば、残った全ての蜂が働き者になるかと言ったらそうではなくて。

残った蜂の中からまた20%働かない蜂が出来るそうです。

この話を聞いて、これは生き物としての多様性を確保するためにプログラミングされたものではないかと私は思いました。

人間社会において、全ては優劣で判断されることが多いけれど、何かが出来る・出来ない場合、出来るのが優れていて、出来ないのは劣っていると判断するのは「出来た方が都合が良い」社会であるから。

だけれども社会常識なんてものは移り変わるもので、要するに優劣なんてのは普遍的なものではなく、そんな不確定なことに縛られそれが当然であるかのように自分の心を、人そのものを縛るのは無意味ではないかと。

出来る人がいれば出来ない人もいる、それが生き物としての多様性ではないかと。

「必要悪」なんて言葉は嫌いです、「必要」とついていようといまいと「悪」は「悪」だし、そもそも人は善悪を判断すべきじゃなく、それをすべきは法と神だけではないかと私は思っているから。

全ては多様性のなせるわざ。

それで丸く収まるならそれがいいな。



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プロフィール

みけこ#

Author:みけこ#
兵庫在住のアラフォー主婦です。家族は配偶者&大学生の長男とダウン症+重度知的障害の19歳の次男、猫2匹。仕事は介護職です。シンプルライフに憧れてます。よろしくお願いします。

■ホームヘルパー2級
■アロマテラピー検定1級
■FP技能士3級

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