怒りは二次感情だと肝に命じるといいことあるかも知れない
- 2018/05/29
- 16:48
昨日、無事事務所のお引越しが終わりました、YEAH~~!
おかげで今日は全身筋肉痛です(汗。
でも思っていた以上に今回は不用品を処分することが出来、嬉しいです。
2年置きとは言え、色んな人が中心になって回って来た組織であるため、遠慮や義理が絡み合って「これどう考えてもいらんやろ~?」と思うものさえ年代を超えて引き継がれてしまうのはある程度仕方のないこと。
引越しと言う、そうそうない出来事がそれらの必要性を改めて考える良いきっかけになったのではないかなと思います。
2つの倉庫にそれなりに分類して整理して詰めたつもりだけれど、「これの置き場所みけこ#さん覚えといてね!」と言われたものが結構あり、それを今後も忘れずにいられるかが現在の心配事です。
私に記憶力を求めないで・・・。

役員お仕事には毎度お弁当持参です。長男用のと並べるとクローンみたいでちょっと楽しい。
今日明日は何も予定のない日だったので、貯まっていた書類仕事を少し片付けました。
PCでの作業ってそう言えば覚えたのは役員のおかげかも・・・。
長男の学校の方でも色々役員をさせて頂いて来て、でもって割りと早めに出産した私はメンバーの中で一番の若手に位置づけられることが多く、結果「PC作業」「力仕事」=みけこ#さんの担当、と言う事に。
数歳若いだけで「若いから出来るでしょ」と難しい仕事を振られる度、心の中で
若い=魔法使いじゃないから!
と呟いたものでした。
数歳の年の差がどれほど能力値に影響を与えるんだ。。。
PCを使った在宅ワークもこれまでに通算8年ほどしたけれど、それらは会社の専用ソフトを使っての作業だったので、ワード・エクセルの基本作業は純粋に役員仕事だけで覚えたかも知れない。
敬遠されがちな役員ではありますが、このように、出来なかったことが出来るようになったりもするから、悪いことばっかじゃないよ~と言うことにしときます。
ついでに言うとむかーし少しだけ齧った簿記の知識も事業予算書とか作る時に役に立ってたりする。
借り方貸し方の概念がわかるだけで、こんなに数字への理解度が上がるのだなぁと感動。
ほんと人生何が役に立つかわかりませんねぇ。
さてさて、私はアドラー心理学の中で特に目的論というのが気に入っています。
「人間の行動には目的がある」と言うのがこの目的論なのですが、日常的に抱く感情等をこれに当てはめると、何ともすっきりするのです。
私は心理学はさほど詳しくはないのだけれど、ユングやフロイトが原因を重視したのに対し、アドラーが目的に注目したのはとても画期的なことだと思っています。
原因って過去と結びつくものが多く、そういう「過ぎたこと」を重視する考え方は私はあまり好きではありません。
今~なのは、過去に~だったからだ、とかすごく言い訳っぽいと思ってしまいます。
人の記憶なんて曖昧ですしね。
目的論において、アドラーは怒りとは二次感情であると語っています。
ちなみに一次感情とは、落胆、心配、悲しみ、寂しさ、傷つきなどです。
対人関係において、相手に対して怒りを感じることがしばしばあります。
だけれども、その怒りの前には何かしらの一次感情が存在しているのです。
例えば夫が「○時に帰る」と約束していたにも関わらず、その時間に帰って来なかった時。
「○時に帰ってくるって言ってたのに約束を破った!」
と、妻はつい怒りに任せて言ってしまいそうですが、その怒りの前にある感情に気づけば、全く違う対応が取れるのではないでしょうか。
なぜ夫が約束通りに帰らなかったことに怒りを覚えるのでしょう。
夫が帰って来ると言った○時に合わせて夕食を作っていた場合は、作りたての夕食を食べてもらいたかったのにそれが叶わなくて悲しいと言う気持ちが先にあるのかも知れません。
また、約束を破られたことそのものにショックを抱いた場合は、自分は彼にとってそこまでの存在ではないのではないか、と不安にもなったでしょう。
その結果の「怒り」なのです。
どうです、なんだか自分がすごく「かわいい奥さん」に思えて来ませんか。
このように、怒りに身を任せる前に、「自分の今の一次感情は何だろう」と考えることが出来れば、本当に大切な気持ちだけを相手に伝えることも可能なはずです。
怒りを交えず「○時に作り立てを食べてもらおうと思ってたのに残念だわ」とか「私が思うほどは、あなたは私のことを思ってくれてはいないのではないかと不安になった」とか言われて逆切れする夫はまずいないのではないでしょうか。
てか「私が思うほど~(略」は、セリフとしてかなりハードルが高いですね、赤面してしまいそう。
売り言葉に買い言葉、とよく言いますが、これは二次感情だけに振り回されると陥ってしまいがちな何とも非生産的なやり取り。
そんな事態にならないためにも、「怒りは二次感情」であることを肝に命じておきたいものです。
少し話はズレますが、誰にでも怒りスイッチってありませんか?
地雷と言い換えてもいいですが。
「これに触れられる・言われると頭に血が上る」
と言うものです。
私にとっての怒りスイッチってなんだろう?と考えてみたのですが、自分の人生を通して「これは許せん!」と言うのは「不平等」であることに最近気がつきました。
自分のことに限らず、他の人への不平等に対しても、もうびっくりするくらいの怒りが沸いて来ます。
10年以上前、療育園に通園していた時も、Aさんママ、Bさんママ、二人への園側の扱いの違いに激高し、「なんでみけこ#さんがそこまで怒るんですか?!」と当時の園長さんに呆れられたことがありました、確かに私無関係者なんですよね、ほんと申し訳ない。
それくらい「不平等」と言うのは私にとってのNGワードです。
人は全て平等なんかじゃないのってのは頭ではわかってるんだけどねー。
それでも。
人は全て平等であってほしい。
努力した人は報われて欲しい。
正義は必ず勝って欲しい。
人はみな善人であってほしい。
などなどの願望を、40半ばに至ってもなお捨てることが出来ません。
なんとも青臭く幼稚だと自分でも思う。
いつか、人生の酸いも甘いもかみ分けた後、お気に入りのイスに座って熱いほうじ茶でも飲みながら、何を聞いても「そういうこともあるよね~」と聞き流せるおばあちゃんになれたらいいなぁ。
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おかげで今日は全身筋肉痛です(汗。
でも思っていた以上に今回は不用品を処分することが出来、嬉しいです。
2年置きとは言え、色んな人が中心になって回って来た組織であるため、遠慮や義理が絡み合って「これどう考えてもいらんやろ~?」と思うものさえ年代を超えて引き継がれてしまうのはある程度仕方のないこと。
引越しと言う、そうそうない出来事がそれらの必要性を改めて考える良いきっかけになったのではないかなと思います。
2つの倉庫にそれなりに分類して整理して詰めたつもりだけれど、「これの置き場所みけこ#さん覚えといてね!」と言われたものが結構あり、それを今後も忘れずにいられるかが現在の心配事です。
私に記憶力を求めないで・・・。

役員お仕事には毎度お弁当持参です。長男用のと並べるとクローンみたいでちょっと楽しい。
今日明日は何も予定のない日だったので、貯まっていた書類仕事を少し片付けました。
PCでの作業ってそう言えば覚えたのは役員のおかげかも・・・。
長男の学校の方でも色々役員をさせて頂いて来て、でもって割りと早めに出産した私はメンバーの中で一番の若手に位置づけられることが多く、結果「PC作業」「力仕事」=みけこ#さんの担当、と言う事に。
数歳若いだけで「若いから出来るでしょ」と難しい仕事を振られる度、心の中で
若い=魔法使いじゃないから!
と呟いたものでした。
数歳の年の差がどれほど能力値に影響を与えるんだ。。。
PCを使った在宅ワークもこれまでに通算8年ほどしたけれど、それらは会社の専用ソフトを使っての作業だったので、ワード・エクセルの基本作業は純粋に役員仕事だけで覚えたかも知れない。
敬遠されがちな役員ではありますが、このように、出来なかったことが出来るようになったりもするから、悪いことばっかじゃないよ~と言うことにしときます。
ついでに言うとむかーし少しだけ齧った簿記の知識も事業予算書とか作る時に役に立ってたりする。
借り方貸し方の概念がわかるだけで、こんなに数字への理解度が上がるのだなぁと感動。
ほんと人生何が役に立つかわかりませんねぇ。
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さてさて、私はアドラー心理学の中で特に目的論というのが気に入っています。
「人間の行動には目的がある」と言うのがこの目的論なのですが、日常的に抱く感情等をこれに当てはめると、何ともすっきりするのです。
私は心理学はさほど詳しくはないのだけれど、ユングやフロイトが原因を重視したのに対し、アドラーが目的に注目したのはとても画期的なことだと思っています。
原因って過去と結びつくものが多く、そういう「過ぎたこと」を重視する考え方は私はあまり好きではありません。
今~なのは、過去に~だったからだ、とかすごく言い訳っぽいと思ってしまいます。
人の記憶なんて曖昧ですしね。
目的論において、アドラーは怒りとは二次感情であると語っています。
ちなみに一次感情とは、落胆、心配、悲しみ、寂しさ、傷つきなどです。
対人関係において、相手に対して怒りを感じることがしばしばあります。
だけれども、その怒りの前には何かしらの一次感情が存在しているのです。
例えば夫が「○時に帰る」と約束していたにも関わらず、その時間に帰って来なかった時。
「○時に帰ってくるって言ってたのに約束を破った!」
と、妻はつい怒りに任せて言ってしまいそうですが、その怒りの前にある感情に気づけば、全く違う対応が取れるのではないでしょうか。
なぜ夫が約束通りに帰らなかったことに怒りを覚えるのでしょう。
夫が帰って来ると言った○時に合わせて夕食を作っていた場合は、作りたての夕食を食べてもらいたかったのにそれが叶わなくて悲しいと言う気持ちが先にあるのかも知れません。
また、約束を破られたことそのものにショックを抱いた場合は、自分は彼にとってそこまでの存在ではないのではないか、と不安にもなったでしょう。
その結果の「怒り」なのです。
どうです、なんだか自分がすごく「かわいい奥さん」に思えて来ませんか。
このように、怒りに身を任せる前に、「自分の今の一次感情は何だろう」と考えることが出来れば、本当に大切な気持ちだけを相手に伝えることも可能なはずです。
怒りを交えず「○時に作り立てを食べてもらおうと思ってたのに残念だわ」とか「私が思うほどは、あなたは私のことを思ってくれてはいないのではないかと不安になった」とか言われて逆切れする夫はまずいないのではないでしょうか。
てか「私が思うほど~(略」は、セリフとしてかなりハードルが高いですね、赤面してしまいそう。
売り言葉に買い言葉、とよく言いますが、これは二次感情だけに振り回されると陥ってしまいがちな何とも非生産的なやり取り。
そんな事態にならないためにも、「怒りは二次感情」であることを肝に命じておきたいものです。
少し話はズレますが、誰にでも怒りスイッチってありませんか?
地雷と言い換えてもいいですが。
「これに触れられる・言われると頭に血が上る」
と言うものです。
私にとっての怒りスイッチってなんだろう?と考えてみたのですが、自分の人生を通して「これは許せん!」と言うのは「不平等」であることに最近気がつきました。
自分のことに限らず、他の人への不平等に対しても、もうびっくりするくらいの怒りが沸いて来ます。
10年以上前、療育園に通園していた時も、Aさんママ、Bさんママ、二人への園側の扱いの違いに激高し、「なんでみけこ#さんがそこまで怒るんですか?!」と当時の園長さんに呆れられたことがありました、確かに私無関係者なんですよね、ほんと申し訳ない。
それくらい「不平等」と言うのは私にとってのNGワードです。
人は全て平等なんかじゃないのってのは頭ではわかってるんだけどねー。
それでも。
人は全て平等であってほしい。
努力した人は報われて欲しい。
正義は必ず勝って欲しい。
人はみな善人であってほしい。
などなどの願望を、40半ばに至ってもなお捨てることが出来ません。
なんとも青臭く幼稚だと自分でも思う。
いつか、人生の酸いも甘いもかみ分けた後、お気に入りのイスに座って熱いほうじ茶でも飲みながら、何を聞いても「そういうこともあるよね~」と聞き流せるおばあちゃんになれたらいいなぁ。
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