記事一覧

「私の『お墓が欲しい理由』」

私の実家がお墓を買ったのは、もう10年以上前のことだろうか。

大阪から神戸まで一望できる公園墓地の一角を買うことにしたと最初に母から聞いた時は

「まだ誰も死んでないのに?」

と、びっくりした。

父方、母方、ともに既にお墓はあるものの、もう何人も入っているし、かなりの遠方である。

父も母も自分の実家を出て久しく、子ども3人、孫は6人いる。

お互いの実家の墓に入るより、今住んでいる街に新たにお墓を建てる方が現実的であることは確かだ。

新たに墓を建てても、自分達夫婦と子ども達、その後孫も利用できるとなると、十分元が取れると考えたのであろう。

とは言え、墓を買ったのは父ではなく長兄である。

まるで父や母に「準備は出来ているぞ」と言っているようではあるが、費用のほとんどを長兄が負担したので、「親孝行」と言えるのかも知れない。

費用と言えば、なぜか私も一部負担することになった。

「お前も入れるから」

と言われたからだが、果たして私がその墓に入ることは可能なのだろうか。

なんせ結婚してるから苗字が違うのだ。

ワンマンな兄のことだから、そんなことはどうとでもなると思っているのかも知れないが、もし本当に私が自分の実家の墓に入ることになったとしたら、私の死後、あそこの嫁さんは婚家との仲が相当悪かったに違いないと噂されることは必須だろう。

まぁ自分が死んだ後のことなんてどうでもいいが。


0513.jpg


一応自分も費用を負担したのだから、と一度だけ私もそのお墓を見に行ったことがある。

街を見下ろす山肌に作られたその墓地は、四季折々の自然に囲まれた広大な敷地を持ち、眼下に街並みを一望出来る絶好のロケーションの場所にあった。

兄が買った墓は2畳ほどのスペースに建てられ、洋風の墓石が備えられたものだった。

四角柱のいわゆる和風墓石をイメージしていた私は、その横にした長方形の墓石を見て思わず

「記念碑みたい」

と言ってしまった。

確かにこの大きさの墓地なら、両親に子ども3人くらいは確実に入れるだろう。

予想以上に豪華だ。

これはちょっと世間を敵に回してでも入りたくなるかも知れない、と思ってしまった。


スポンサーリンク



私の配偶者の実家にはお墓がない。

姑の実家の墓はすぐ近所にあるのだが、舅の実家は九州だ。

そして5年前に舅が他界して以後、舅の骨はお寺に預けてある。

舅の死をきっかけに、お墓を建てる話も一瞬出たが、姑の「墓なんてあっても子どもや孫に迷惑かけるだけだから」と言う言葉で立ち消えた。

だけれども、次に姑が亡くなった際も、同じ話が繰り返されるだろう。

その時、私はお墓を建てるつもりだ。

どれくらいの大きさのものをどこに建てるか等は決めていない。

だが、建てることだけは硬く決意している。

「墓じまい」と言う言葉が生まれ、ふるさと納税の返礼品としてお墓参りが用意される今、時代遅れな発想かも知れないが、とにかく私はお墓が欲しい。

何も婚家の名前を永久に残したいとか、お世話になった義両親に対してまごころを尽くしたいとか、そういうことが理由ではない。

私は、愛猫と一緒に入れるお墓が欲しいのだ。

大切な家族の一員である愛猫達。

普通にしていれば私より確実に早く逝ってしまう愛猫達。

いつか私も死の床についた時、きっと色んなことを思うだろう。

あんなこともしたかった、こんなこともしたかった。

そんな後悔だって人並みにするかも知れない。

だがその時、「でも猫達が待ってるし」と思えれば、どんなに心が安らぐだろう。

天国や地獄が果たして本当にあるのかはわからない。

臨死体験した人がよく見る「菊の花が咲き乱れる川原に立っていると、川の向こうに死んだ家族が笑いながら手を振っていた」などの光景も、きっと脳が生み出す幻想だろ思う。

だけれども、「死んだ後、どんな場所かは不明だが、そこには猫達がいて、自分が来るのを待っている」と思うことは、死の恐怖さえも忘れさせる心の拠り所となり得るのではないだろうか。

だから私はお墓が欲しい。

猛烈に欲しい。

今うちにいる猫達もいつかは死ぬ。

その後飼う猫達も私が死ぬ前には死ぬだろう。

死んだ彼女達の遺骨はお墓が手に入るまでは、かわいい箱に入れて棚に飾ろう。

そしていつかお墓が手に入ったなら、彼女達をそこに納める。

それから私が入るのだ。

そう考えると死ぬことが怖くなくなる。

むしろ楽しみになるかも知れない。

死者の国にて、死ぬまでの間に飼った歴代の猫達がゴロゴロ言いながら私を歓迎してくれる、想像するだけで頬がゆるむ。

一般に終活と呼ばれるものは「身辺を整理する」「いらない物を処分しておく」「遺言を残す」など、後に残された者たちに迷惑をかけないことに重点を置いたものが多い。

人への気遣いを最優先させる日本人らしいと思う。

だが、人生の終末に向けての活動として、本当にそれだけで良いのだろうか。

人のためではなく自分のために。

自分が安らかに逝ける工夫も終活に含めるべきではないだろうかと私は思う。

だから私はお墓が欲しい。

なにも私の実家のお墓のように風光明媚な場所の豪華なお墓でなくてもいい。

猫達と一緒に入れるのであれば、どんなに辺鄙な場所の小さな墓でも構わない。

猫達との死後の楽しい生活を夢見て、私はお墓が猛烈に欲しいのだ。



~参加中~
クリックして頂けると嬉しいです☆





スポンサーリンク

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

みけこ#

Author:みけこ#
兵庫在住のアラフォー主婦です。家族は配偶者&大学生の長男とダウン症+重度知的障害の19歳の次男、猫2匹。仕事は介護職です。シンプルライフに憧れてます。よろしくお願いします。

■ホームヘルパー2級
■アロマテラピー検定1級
■FP技能士3級

スポンサーリンク

  

アンケートモニター登録

ブロとも申請フォーム

~参加中~

応援して頂けると嬉しいです