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介護する人される人、よりつらいのはどっち?

昨日は雨でしたが、母に急に「お昼一緒にどこか食べに行かない?」と誘われて、母・父・私の3人で食事に行くことになりました。

待ち合わせ場所のK駅まで父と母はバスで、私は電車で向かいます。

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母も父も外食が大好きで、今までに何度も3人で食事に行っていたのですが、会う度父の歩行の不安定さが増していて、昨日はもう待ち合わせ場所に行った時点で「無事に食事を済ませて家に帰すことが出来るだろうか」と心配になりました。

父は歩行が困難であるにも関わらず、かたくなに車椅子はもちろんのこと、杖でさえ拒否します。

「そんなかっこ悪いことできるか」というのが父の主張なのですが、筋力は年の割にはキープ出来ているものの、脳の萎縮が進み、思い通りに足を動かせなくなった今、かっこつけてる場合じゃないでしょうと心から思う。


雨の日の外出:高齢者は要注意


雨で傘をささなければいけないこともあり、待ち合わせ場所から目的のお店に向かう間も何度も立ち止まり、何かにもたれかかって休憩しなければ前に進めない父。

母も傘をさすだけで精一杯なので、私が父の左腕の脇に腕を入れ、転倒だけは防ぐべく横に付き添います。

何とか目的のお店がある、ショッピングセンターの地下1階に着き、傘をたたみ、その傘を杖代わりにして父もヨタヨタ歩きます。

お店が見えた!あと少しだね!

と、その瞬間、父の体がぐらっと揺れて・・・すぐに支えて転倒は免れましたが、周りの店舗からわらわらと店員さんが出てきて口々に「大丈夫ですか?!」と。

「すみません、大丈夫です、ごめんなさい」ぺこぺこ頭を下げつつ、心配してわざわざ店員さんが出てきてくれる、日本はまだまだ安泰だなぁなどと考えてしまいました。

そこからお店までの数メートル、えっちらおっちら父を動かしやっと入店。

もうその時点で疲れてる私。

注文して運ばれて来たその日のランチがこちら。

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すみません、疲れきってお腹もすいて、写真撮る前に春巻きかじってしまいました。

お料理はどれも熱々で、多分おいしかったです。

「多分」なのは、「この後、人様に迷惑をかけず、かつ父のプライドも傷つけないよう、どうやって父を家まで運ぼうか」とそのことで頭がいっぱいで味がよくわからなかったからです、お店の方重ね重ねごめんなさい。


どんなにしんどくても、いつもしてたことは今日もしたい


食事が終わり、そろそろ店を出ようかといった時、父が言いました。

「どこかでコーヒーでも飲もう」

・・更に移動ですか。

「・・・そうだね、どこがいいかな」と言った私の目はどこか遠い世界を見つめていたように思います。

食事の後はコーヒー、父の中ではそれが「いつもすること」。

そして「食事」する場所と、「コーヒーを飲む」場所は別々。

状況が、自分が変わっても、いつもしてたことはしたいよね。

なるべく近くて、父がもたれかかっても大丈夫なテーブルのあるコーヒーを飲ませてくれるお店、そしてそのお店までの最短ルートとエスカレーターの場所・・・私の頭がフル回転で段取りを考えます。

エスカレーター、もたれかかれる壁、ゆるやかなスロープ、それらの助けを借りながら目指すはコーヒーショップ。

「もうちょっとだねー、それがんばろー」

とか言いながらも目が笑ってない私をよそに「あ、私ちょっとお肉屋さん行って○○(飼ってる犬の名前)のために鳥のささ身買ってくるわ」と母。

・・・私とじいさんは放置ですか・・・。

仕方ないので一足先に父と二人でコーヒーショップに入ります。

コーヒーを頼んで、やっと一息、あとはバスに乗せるだけだ・・・と自分を奮い立たせていると、ささ身を買って戻って来た母が一言「最近じいちゃん、バス停から家まででも何回も電信柱にしがみつかないと移動できないのよね」。

父や母の家からバス停までは30メートルほど・・・その距離でもダメなんですね。

「・・・わかった、私もバス乗って家まで一緒に行くわ」

雨だし、たかが30メートルの距離の家までの道のりで転んだりしたら父のプライドがまた傷ついてしまいそうで。

転び方が上手いのか、数え切れないくらいこれまで転んだ割りに骨折とかはしたことがないものの、次も軽症で済むとは限りませんしね。

おいしく(多分)コーヒーを飲んで、さあ次はバス停までの移動です。


体がつらいと身近な人につい甘えてしまうもの


階段のあるルートは避け、エスカレーターと平地をつなぎ合わせてバス乗り場へ。

ここまで来るとさすがに父も疲労MAXになったようで、母への八つ当たりが始まります。

「○○(私の名前)ばっかり手伝って、お前はなんにもしない、本当に役に立たないやつだ」

母は父には何も答えません、言っても無駄だと思ってるのです。

その代わり私に囁きます「自分でちゃんと歩けないくせに外ばっかり行きたがって、人の迷惑を全然考えてない。体支えろって言ったって私だってもう年なんだからそんなこと出来る訳ない。なのにどなり散らすばっかりで本当にやってられない」などなど。。

思うように動けなくてイライラする父の気持ちもわかるし、そんな自分じゃどうしようもないことで八つ当たりされてつらい母の気持ちもわかるし。

まぁとりあえず無事家に帰れるよう頑張ろうよーってことで3人でバスに乗り込みました。

バスに乗って座席に座って父は落ち着いたものの、母は止まりません。

「バス乗ってる時だってね、もう次降りるのか、まだ着かないのかって私に文句言うの。別になんかしなきゃいけないことがある訳じゃなし、バスくらいのんびり座ってればいいのに。何回も何回も同じこというのよ。それが認知症なのかもしれないけど。そうそうこの前も・・・」

終わりがないのです。

バスが最寄の停留所につき、また私が脇を支えて家に向かいます。

そして門の前でまた転倒。

壁もあったし、慣れている場所だし、まさかまさかでしたが、ゆーっくりと体が傾いて、とっさに服を掴んだので体を打ち付けることはなかったものの、父は地面に背中をつけ、自分でもきょとんとしていました。


父の言葉の裏にある、せつなさ・つらさ


家に入り服を着替え、ソファーのお気に入りの場所に座る父がボソっと言いました。

「もうどっこも行けんわ・・・」

現役の頃は梅田や新地で遊びまわり、引退してからも海外&国内旅行あちこち行って、外出を楽しんでいた父。

今も気持ちは変わらないのに、体がついてこないもどかしさ、惨めさ。

2年ほど前に車の運転をやめた・・・というか、判断力が落ちて来たのが顕著になったので、私や兄が説得してやめさせたのですが、それ以降行動範囲がぐっと狭くなり、体の衰えも手伝って、外出する機会も激減しました。

母は母で、以前は父が運転する車でどこにでも連れて行ってもらえたのに、今は買い物に行くのもままならない、認知症もある父はひとりで留守番が出来ず、自分は常に父と一緒に家に閉じ込められている、じいちゃんは自業自得だから良いけど、自分はまだ動けるのにとばっちりだ、な気持ちが強く。

どちらの気持ちももっともで、どっちもつらいとわかるけど、父は母に、母は父に、自分の気持ちをわかってもらえない、と更に不満を抱えるのです。


お互いが「いる」から言えること


介護する人、される人。

どっちもつらいんだろうけど、お互いしかいない世界だとつい「自分の方が」「自分が一番」つらいんだと言いたくなるのかも知れない。

それは多分それだけ相手が身近だから、自分が心から信頼している人だからこそ生まれる温かい感じの「甘え」なんだろうけど、「つらい」真っ最中の時はそんなことわからないよね。

もしどちらかが先に亡くなったりしたら、そんなこんなも「思い出」になるんだろうけど。




「そうだね、それはつらいよね」と、私は二人に同じ言葉を繰り返す。

なんだか自分がコウモリになったような気がするけれど、別にコウモリだって良いよね。

週に2~3回のコウモリの訪問が、二人にとって小さなガス抜きになるなら良いよね。


「昨日はごめんねー、じいちゃん今デイサービス行ったわ」で始まった母からの電話に「いやいや、ばあちゃんもお疲れー」と答えながら、お昼ご飯のキムチ雑炊を作るべく、コウモリは今日もパタパタと台所へ向かうのでした。


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プロフィール

みけこ#

Author:みけこ#
兵庫在住のアラフォー主婦です。家族は配偶者&大学生の長男とダウン症+重度知的障害の高校生の次男、猫2匹。仕事は介護職です。シンプルライフに憧れてます。よろしくお願いします。

■ホームヘルパー2級
■アロマテラピー検定1級
■FP技能士3級

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