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阪神淡路大震災から23年

今日で阪神淡路大震災から23年ですね。

平成7年(1995年)1月17日午前5時46分、淡路島北淡町野島断層を震源とするマグニチュード7.3の平成7年兵庫県南部地震が発生しました。

この地震による災害は阪神・淡路大震災と呼ばれ、1923年の関東大震災以来の甚大な被害をもたらしました。

淡路島、神戸市、西宮市、芦屋市などは震度7の烈しい揺れに見舞われ、死者6,434人、重軽傷者者43,792人。全半壊家屋274,181棟。焼失家屋約7,500棟、避難者約35万人。断水130万世帯。停電260万戸。ガス停止86万世帯。電話不通30万回線。

同時多発火災約290件の大惨事に発展します。


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私が住む川西市では死者4人、重軽傷者551人との消防庁の発表がありましたが(https://web.pref.hyogo.lg.jp/kk42/pa20_000000006.html)、私の周辺では目立った被害はなかったように思います。

地震が起こった5時46分、普通は寝てる・・・のかもだけど、当時8時出社の会社に勤めていたため、私は既に起き、2階の自分の部屋で身支度していました。

いつも通りくるくるドライヤーで髪をセットしていると、何の前触れもなく「ごぉぉぉぉ」と言う轟音と共に突き上げるような衝撃を感じました。

激しい縦揺れはしばらく続き、寝起きで嫌々出勤準備をしていた私は当然フリーズ。

やけに冷静に1階に降りていくとそこにはあたふたしている両親。

ダイニングの食器棚の扉が開いたらしく、2つ3つガラスの何かが飛び出し床に破片が飛び散っていました。

まだ何が起こったかわからない私が母と一緒にガラスを片付けていると、歩いて数分の所に住んでいた長兄家族がやって来ました。

その後、車で次兄家族も合流。

驚いたことに地震から30分以内に家族全員が揃ってしまった。

この団結力はどこから沸いてくるのか、今から考えると不思議で仕方ない。。。

電気もつかないからTVも見ることが出来ないし、電話も通じない。

当時はまだ珍しかった携帯電話(平野ノラが持ってるようなアレ)を持っていた長兄があちこち電話をかけるもこちらも不通。

そうこうしているうちに時間が過ぎ、出勤時間になったので私は原付で駅へ向かいました。

すると・・・なんとあの能勢電が動いてない

能勢電って言っても多分地元の方以外はわからないでしょうが、JRに見習ってもらいたいくらい年がら年中時間厳守、山間部を走ってるため土砂崩れで一部区間不通とかはあっても全線運転休止なんてなってるの見たことがない、川西市民はこれを使わなきゃ街には出れない、それくらい重要で特別な電車なんです。

そこで初めて「これはえらいことになった」と思いました。

仕方なく家に帰ろうと通りかかった多田王将の前では地震直後にも関わらず、太巻き寿司を道端で売る店員さんの姿が!

電気、ガスが止まっていたため、料理もままならない家庭がほとんどだった震災当日、それに応じて王将の店長さんが手配したのでしょうか、あの売り子の店員さんは朝から太巻き寿司をどうやって手に入れたのでしょう、本当に謎です、てか迅速な対応過ぎて23年経った今でも忘れられません。。。

その後、たまたま仕事が休みでこれまた近所に住んでた配偶者(まだ結婚前)と合流し、一体何が起こったのか確認するため市内外を車で見て回りました。

今思えばすごく不謹慎だし危険だし、ありえないんだけど、当時二十歳そこそこの愚かな私たちは「街がどうなってるのか」を見たいという衝動を抑えることが出来ませんでした(道路は緊急車両どころか乗用車の姿も、人の姿もほとんどなかったです)。

そして見た崩壊した伊丹駅、断層がずれ崖のようになってる道路、あちこちから聞こえるサイレンと立ち上る煙、空には赤い月。

すぐ隣町のあまりの変わりように愕然としました。

そして、そこから少し位置がずれてるだけの自分の街がそこまでの影響を受けていないことに罪悪感を抱くと共に安堵したのも事実です。

**********

あれから23年、うちの息子達は当然あの日を知りません。

「こんなことがあったんだよ」と語ったところで、「ふ~ん」で終わりです。

災害の記憶と言うのは多分思っている以上に次の世代には伝わりにくく、どんなに努力しても少しずつ風化してしまうのを止める術はないのかも知れません。

話が飛びますが、むかーし、「史実に残っている最初の大噴火」を扱ったドキュメンタリーちっくなパニック映画を見たことがあります、題名さえ覚えてないけど。

「史実に残っている最初の」なのでクラカタウ大噴火でしょうか、うろ覚えで申し訳ない。

その映画は火山の噴火から始まりそこから津波が起こり、パニック映画につき物のヒーローが現れることもなく、ただただ逃げ惑う人たちの様子が描かれていました。

そして物語のラストのナレーションに「この地域は火山が多く、その後も頻繁に火山の爆発に見舞われ一帯は火山灰に覆われている。だが、混乱が収まる度人々は元の場所に戻り、またそれぞれの生活を続け・・・」みたいなのがあったんです、それ聞いて私は思った。

いや、そんなとこ引っ越そうよ、と。

火山がいっぱいあって、今までも何度も噴火して、これかも噴火するであろうと予想できる場所に何故住み続けるのか、と。

でもよく考えたらこれって私達も同じですよね。

日本はいわずと知れた火山列島、いつどこで地震が起こっても不思議ではない地震大国でもある。

だけどたいていの人は、これまでも、そしてこれからもこの場所に住み続ける(海外にお引越しされる方もおられるかもだけど)。

幾度となく襲い来る災害を乗り越え、お互いに助け合い支えあい、また生活を再建していく、その繰り返し。

不毛かもしれない、ばかばかしいかも知れない、けれど私にはとても逞しく尊い生き物としての活動のように思えます。

人にとって大切なのは「倒れない」ことではなく、「倒れても立ち上がる」ことである、今日1月17日が来る度実感します。

時と共に震災の記憶が薄れていくのは止められないかもしれない、いつかこの地震のことも近代史の教科書の記述くらいでしか知ることがなくなるかも知れない、だけれど、震災から立ち上がった人たちの心を、そしてその雄姿だけは、後の世代にも伝えていけるといいなと思います。



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さてさて、昨日は次男の参観&役員会のため学校に行ってきました。

往路、予定していた電車に乗り遅れ、乗り継ぎのバスまで全力ダッシュする羽目になりました・・・どうも最近走ってばかりな気がします、もう年なんだから無理したくないのに。

今回の参観では子供たちが開催するバザーのお客さんをしました。

先生に後ろに立ってもらって、うちの息子はお客さんが買った商品を袋に入れる係りだったのかな?

いつものようにニコニコふわふわ立っていました笑。

私が次男から購入したのはこちら。


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なでしこの苗・・・だったかしら?

花が咲くのが楽しみです♪

明日も役員会で学校!

正直片道1時間半の道のりはきついけれども、校区最北端在住なので仕方ない!と自分に言い聞かせがんばりまっす。



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プロフィール

みけこ#

Author:みけこ#
兵庫在住のアラフォー主婦です。家族は配偶者&大学生の長男とダウン症+重度知的障害の高校生の次男、猫2匹。仕事は介護職です。シンプルライフに憧れてます。よろしくお願いします。

■ホームヘルパー2級
■アロマテラピー検定1級
■FP技能士3級

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