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障害のある子の学びと趣味

今日から次男の学校ではマラソン大会の練習が始まります。

マラソン大会本番は1月・・・めっちゃ参加者少なそうな気がする。

例年学習発表会が1月とか2月で、マラソン大会は11月12月に開催されていたのだけれど、子供達の学習の集大成とも言える学習発表会の開催時期があまりにインフルエンザ流行時期と重なっているため、今年度はこの2つの行事の順番を逆にしたそうな。

まぁ確かに学習発表会とマラソン大会なら親的にも学習発表会の方が重要。

そう言えば去年は年明けインフルが大流行して学級閉鎖どころか学年閉鎖になったとこもあったなぁ。

なので年明けのマラソン大会は仕方ないと思えるけれども、昨日の連絡帳に書かれてた

「明日からマラソン大会の練習が始まります。半袖半パンのご用意をお願いします」

の文字には目を疑った。

あの、もしかしてこの寒空の中、子供達を半袖半パンで走らせる気?!

・・・うちの子デリケートなんですけど。

などと、モンスターペアレントめいた呟きがもれそうになる。

まぁあれです、先生方のことだから、学校置きしてる上着や長袖パンツなども気温に合わせて着用させてくれるはず。

・・・くれる・・・よね?

やっぱちょっと心配になったので、今日は買ったばかりの防寒用のジャージ上下を持たせました。

うちの次男は末端冷え性なのか、寒いと手先足先がチアノーゼになっちゃって、多分血流が悪いせいで爪ももろい。

過保護過干渉かも知れないけれど、何かあったら病院連れてくのは先生じゃなくて私だから、「念のため防寒用ジャージ持たせました。気温に合わせて着させて下さい」と連絡帳にお返事しました。

かなり嵩張るジャージなので、使用しない時は頑張ってロッカーに押し込んでやって下さい。。。


**********

さてさて、毎月購読している全国手をつなぐ育成会連合会(会の会・・・?!)制作の「手をつなぐ」の本。

10月のテーマは「卒業してからも学びたい」でした。


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キジ猫添えてみました。

毎月とても興味深い特集が組まれている「手をつなぐ」の本。

育成会員は一応「全員定期購読」らしいけど、実は取ってない人もいるよねーあはは。

なんかこう全員強制的に!みたいな空気感あってそういうのがどうかなって思うし、でも本自体はすごくいいと思うから、いっそ「全員定期購読」なんてやめたらいいのにとも思う。

だっていいものはいいんだし、「強制」みたいにしなくても、買う人は買うはず

よくわからない慣習とか暗黙のルールとか、「よくわからないから」なくていい。

なーんて私の「なんだか知らないけどそういうものらしいからそうしとく」的慣習への反抗心は置いといて、10月号「手をつなぐ」の本の感想です。



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特集冒頭ではコーヒーが大好きで、コーヒー豆の種類やおいしいコーヒーの入れ方まで日々興味を持って調べてきたKくんと言う入所支援事業所で生活する青年ことが紹介されていました。

Kくんの利用する法人で美術館をオープンすることになり、地域の人が交流できるカフェも設けられることになった折、「まねぶカフェ~Kくんと」と言うワークショップが立ち上げられることになりました。

「まねぶ」とは「まなぶ」の語源であり、教えを受け知識や技芸を身につけることを指します。

このワークショップをきっかけに、Kくんはイベント開催の際などに出張カフェのマスターを務めたり、コーヒーを通じて色んな経験を積み重ねることが出来るようになったそうです。

他にも、フラワーアレンジメントを楽しんでいる人、絵を描いて自分を表現する人、オープンカレッジに参加する人など、それぞれ「自分の興味のあること」を通じて人生を豊かにしている人たちが紹介されていました。

さて、今年4月、文部科学省の松野博一大臣より「特別支援教育の生涯学習化に向けて」と銘打たれたメッセージが発表されました。

学校教育を受けている間に限らず、卒業後もスポーツや教育、福祉や労働が連動して支援にあたり、生涯にわたる学習活動の充実を目指すことを掲げているこのメッセージ、さて最重度障害者に認定されているうちの次男の場合はどうなるでしょう。

障害のある人が自分の好きなこと、興味のあることに関われる、取り組める機会はとても大切です。

ぜひそれが可能になる方向に世界が向かって欲しいと思います。

障害があろうとなかろうと人生はそこそこ長く、「夢中になれること」のない日々はきっと侘しいと言ってもいい日常の連続としてしか存在できないかもしれません。

紙面に登場している人の大半は、「したいこと」「好きなこと」があり、それを可能にするために周囲の人にこんなサポートをしてもらいました、自分自身もこんな努力をしています、と言う方々。

こういう記事を読むと「うちの子にも何か見つけてあげたい」と言う気持ちが湧き上がり、それは「何か好きなことをさせてあげたい」気持ちへ進化し、でもそこではたと

・・・うちの子って何が好きなん?

と言うクェッションマークに行き着く。

うちの次男は喋れないので「○○が好き!」と言うように自分の気持ちを表現することは出来ません。

音楽は好きみたいだから音楽療法的なピアノ教室に通ったこともありました、でも予想外にたいして楽しそうではありませんでした。

絵を描くことはニガテです、そもそも興味がないみたい。

学校のプールは好きだけど、家族やヘルパーさんと行くプールはそんなに好きじゃないみたい、すぐに帰りたがります。

スポーツも、学校でするのは好きみたいだけど、プール同様他の場面での反応はいまひとつ。

要するに学校ですることはたいてい好きみたいなんだけど、その学校はもうじき卒業。

いやだからこそ「何か楽しめること」を探したいねん、でもそれがわっからーんw

強いて言えば「人と関わることが好き」?

いやでも本人に確かめたわけじゃないしな・・・。

これが「喋れない子」の親独特の悩みの一つ。

本人の意思が確認できない。

だからどうしてあげればいいかわからない、でも何かしてあげたい気持ちは溢れるほどある

そして前者の「ない」は現実で、後者の「ある」が親のエゴだとするならば、ひっこめるべきは当然後者ですよね

こういうのはあれだ。

世間は発達障害ブームだよ、あれがいいらしいよ、これすると伸びるらしいよ、たいていは「その子による」で片付く話とわかっていても、「それ」をしないと「親として失格」みたいで、「しなければ」の思いが呪いのように心に根を張る

今回の特集記事を読んで私に芽生えた感情はきっとこれに似ている。

だけどだけど。

何かをしなければ親失格とか、したから合格とかそんなはずないよね。

子供のしたいことが見つからない、わからないなら、「しない」を胸張って選択するのもありじゃないかな。

色々な体験を子供の一緒に積み重ねていくうちに、もし何かが見えたらそれに取り組んでみたらいい。

それでそれほどの反応が得られなかったとしてもそれはそれでよし。

子供の興味関心を見つめる親の目をニュートラルに保つこと、その時々の子供の姿を見守ること。

「何かをしなければ」な思いに焦りを覚えることもたまにはあるかも知れないけれど、何もしなくてもそれはそれでいい。

私ももしかすると自分のせいで子供の可能性をつぶしたことがあるかもしれない、でもそれをしていたら得られなかったものを与えたこともあったはず

「ない」と「ある」を足すと答えはゼロで、そのゼロを維持することが大切な時もある。

趣味や学びに生き生きと目を輝かせる人々の記事を読みながら、そんなことを思った今日この頃でした。



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プロフィール

みけこ#

Author:みけこ#
兵庫在住のアラフォー主婦です。家族は配偶者&大学生の長男とダウン症+重度知的障害の高校生の次男、猫2匹。仕事は介護職です。シンプルライフに憧れてます。よろしくお願いします。

■ホームヘルパー2級
■アロマテラピー検定1級
■FP技能士3級

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